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内子の旧市街地は松山の南西、大洲街道沿いにあり、水運や金比羅参詣等の交通の要衝として発展したが、江戸時代末期から明治時代にかけては、木蝋の大生産地として富を蓄積した。 |
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八日市・護国地区では、塗屋造の豪壮な製蝋問屋の主屋や土蔵が今も軒を連ねている |
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昭和57年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、国庫補助制度の導入による保存修理事業の開始 |
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歴史的環境整備事業の実施にあたり無電柱化の要請 |
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昭和61年 資源エネルギー庁から地中化地域選定にあたり「重要伝統的建造物群保存地区」への配慮について指導 |